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東京高等裁判所 昭和30年(う)2337号 判決 1956年9月26日

控訴人 原審検察官

被告人 中島喜太郎

弁護人 正木亮

検察官 小出文彦 外一名

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役弐年に処する。

但し本裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、東京地方検察庁検事正代理検事山内繁雄作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これをここに引用する。

よつて記録及び証拠により次のとおり考察をする。

いわゆる貿易手形制度は、一口にして言えば、輸出振興上輸出業者の輸出商品買付資金調進の円滑を図るため、或銀行が右資金融通のため割引いた輸出業者振出の約束手形につき日本銀行が、特に有利な条件をもつて再割引の処遇を与える制度のことをいうのであるが、日本銀行は、これが優遇の条件として特別の定めをしている。これによると右割引の条件として、すでに、外国銀行から発行された信用状があり且つ内国における輸出商品の買付も済んでいるという場合、輸出業者において、いわゆる複名手形(売主である輸出業者が、輸出商品のメーカー問屋等に宛て振出した約束手形に、そのメーカー問屋等が裏書して更にこれを売主たる輸出業者の手に戻したもの)による割引融資を受けるには、外国商人との間に商品の売買契約ができていて、輸出商品代金の支払が確実であることの確認できる外画銀行の発行にかかる信用状のほか、輸出業者が内国メーカー問屋等に対し、輸出商品の注文をしたことの確認できる注文書等及び当該商品が日本政府の輸出許可を要するものであるときは、通産省がその輸出許可を与えていることの確認できる資料を添えて提出することを要するが、輸出業者が、融資を得ようとする銀行に直接振出したいわゆる単名手形によつて、割引融資を得ようとするには、右資料のほか、更に、内国のメーカー問屋等との間に輸出商品の売買契約を了し、その代金も完済されていることの確認できる資料として商品売買約定書、代金仕切書及び代金領収書をも添えて提出することを必要としている。

文化の進歩発展は、技術のそれに並行するといわれるが、現在に広がる経済組織の下における国の経済的発展は、国の貿易収入の増大にその負うところの多きはいうまでもなく、右貿易手形制度が、これが目的の実現されんがための時宜を得た合理的な技術的手段方法であることは今更贅言を要しない。而してこれが技術的手段方法は、事柄の性質上これを囲繞する各利害関係人において理性人として可能なかぎり金銭的損害なきことが期せられねばならず、前示のように割引ないし再割引を受ける条件として添附されることを要する前記それぞれの資料書類こそは貿易手形制度の運営上、輸出業者の買入資金調達の容易性と割引融資する銀行の損害発生の可能性とを調和する限界点として、当該制度そのものが成立する唯一の根幹を為すものである。すなわち、貿易手形制度利用による輸出業者の商品買入資金調達の方法は、国の経済的発展を目指す輸出振興という公共の目的追及上倫理的にも経済的にも輸出業者、銀行側共に遵守しなければならない寧ろ絶対の規範であるということができ、若し輸出業者において約束手形に添附すべき資料書類の一つでも欠く場合或はその一つにでも偽造ないしは内容架空のものがあるという場合にはその割引融資は絶対にこれを受けることができない。つまり約束手形による割引融資と、これに添附すべき前記資料書類との間には後者がなければ、前者がないという必然的な因果の関係にあると同時に、その関係が、倫理的、経済的評価の上において軽視さるべきでないことも自ずから明白である。されば、斯く考えて来るにおいては、本件起訴事実におけるが如く、輸出業者において、而も、前記いわゆる単名手形による割引融資を受けるに当り、全く内容架空の前記添附資料に属する内国メーカーとの間の生糸売買約定書、生糸代金仕切書及びその代金領収書を恰もその内容の真正なもののように故意に装い、銀行員をその旨錯誤に陥らしめていわゆる貿易手形の割引融資として金員の交付を受けた場合、その欺罔行為と金員交付との間に、法益の保護ないしは道義的観点からいつても決して軽視さるべきでない詐欺罪成立の要件としての因果の関係の存在を否定し得べき筋合ではない。

原判決は、輸出業者である大成貿易株式会社(以下単に大成貿易と称する)の経理課長であつた被告人が、同会社のため貿易手形制度の利用として印度支那銀行東京支店(以下単に印支銀行と称する)から本件起訴状記載の如く、いわゆる単名手形の割引融資として金員の交付を受けたるについて、内国のメーカーとの間に輸出商品の売買契約を了し、その代金も支払済であることを確認すべき資料として全く内容架空の生糸売買約定書、生糸代金仕切書及びその代金の領収書各一通を添附して提出した行為を明らかに故意にかかる欺罔行為と断じ、而もこれが提出を受けた印支銀行員が、これら書類を真正な内容を具備するものとして取扱つたこと及び被告人もまた真正な内容を具備するものの如く装つてこれを提出したものであること、従つて右銀行員が右欺罔行為により右三種の内容架空の添附書類を真正な内容を有するものとの錯誤に陥つたものであることを認めながら、敢てこれが添附書類は、本件自体の貿易手形の割引を求める行為全体の中において割引金取得に及ぼした影響力(原因力)において重要でないものがあり、従つて本件貿易手形の割引によつて金員の交附を受けた所為については詐欺罪成立の因果関係が不足するとしてこれが成立を否定し、その理由として、右三種の添附書類は、銀行から貿易手形制度による再割引を受け得る要件として単に存在するか、否かをのみ形式的に調査されるにすぎない程度に扱われ、これら書類の真正を重視し、これを決定的要件として割引が為されるというのではなく、むしろ主としては信用状の存在及び貿易手形の割引を求める者(本件では大成貿易)の信用如何を重視して割引かれるというのが本件当時における一般の実情であつて、本件各手形割引もまたその例に洩れなかつたもので、問題となつている三種の添附書類の実質如何は全く割引を求める者の信用の蔭に置かれた形式的な位置を占めるに止まり、割引を得るか否かについて殆んど形式的要件たるにすぎない程度の価値しかもたなかつたものであるからと説明している。しかしながら、信用状は、元来、外国における買主の依頼によつてこれを発行した外国銀行が、内国(日本国)の外国為替業務を取り扱う銀行(本件においては印支銀行-本件においては同銀行は本件貿易手形の割引もした)において、輸出業者から買取つた同業者の船積にかかる船荷証券及び保険証券並びに同業者振出の為替手形の送付を受けて後始めてその金銭価値を実現するのであつて、少くとも、商品の現実の積出なきかぎり、信用状は、金銭的価値はなく、ただ、売主たる輸出業者において確実な商品現物の売渡給付あるときは、それが代金を支払うことを約する事前における信用の附与を内容とする書面たるにすぎない。従つて、輸出業者による商品の船積前において行われる貿易手形の割引融資については、その手形不払の事態を招来するの虞あるを保し難きは事理の当然とするところである。それにもかかわらず、貿易手形制度は、輸出振興という目的達成の上から輸出商品の買入に莫大な資金を必要とする内国輸出業者のこれが資金調達を容易ならしむる建前から、止むなく、右不払の万万なきを確保する最低の条件として信用状のほか、別段の物的ないしは人的担保の提供を要することなく、ただ、前示三種の添附書類の提供のみをもつて満足しているのである。されば、これによつてこれを見るときは、貿易手形の割引融資をする銀行側において、右添附書類の真正、不真正を度外視してその融資に応ずべきことは到底考え得られない。なるほど、割引融資する銀行は、これが手形の再割引によつて日本銀行から右融資した金員を獲得することができ、一応損害なきを保し得るにしても、若し、その手形が不渡となるに及んでは、右再割引を受けた銀行は、日本銀行から更にこの不渡手形を買戻さねばならないことになつているのであるから、信用状のほか、輸出の確実な実行を確認せしめる前示三種の添附書類は、損害の発生を防止する最低の手段として、物的ないしは人的担保にも比肩すべき重要な書類に属せらるべきことは、取引の通念として当然とするところと言わなければならない。尤も、割引融資の条件としてその担保力の実質において物的ないしは人的担保に劣る右三種の添附書類で満足しなければならない貿易手形制度の宿命として、割引融資する銀行側としては輸出業者の信用ということを特段に重要視するであろうことは勿論であろうけれども、それかといつて、割引融資の前提として右三種の添附書類の条件的価値が軽視さるべき筋合ではない。若し、輸出業者の信用力だけで、割引融資ができるのであれば、誰が好んで右三種の書類を徴するの愚を為すであろう。輸出業者の信用力のほか更にこれらの書類を必要とする点に、前にもすでに叙述したように貿易手形制度が制度として存立せしめられる所以があり、銀行側において右書類を徴するに当り、たまたま、その内容の真正、不真正を実質的に検討することなく、単に形式的審査に止めたにすぎないとするも、それは、銀行側が、輸出業者を信用したればこそその内容の真正を信ずるに至つた結果にすぎないものと見なければならない。本件取引当時における貿易手形制度運用の実情として右三種の添附書類は割引融資の決定的要件を為さず、単に日本銀行から貿易手形制度による割引を受け得るための形式的な存在要件にすぎないものとして取扱われて来たものであり、従つて右添附書類がたとえ内容架空なものであつても別段意に介されることなき慣行が存在したというが如き趣旨の所論は、商品取引における経験事理の上から一般論としても到底採用し得られないところであるばかりでなく、本件記録及び証拠並びに当審事実取調の結果によるも、少くとも本件印支銀行は勿論その他一般銀行側の立場においてそうした実情にあつたことはついにこれを確認するに由がない。又仮に、輸出業者側の実情として右所論の如く、右三種の書類は、割引融資の決定的な要件を為さないとして、敢て内容架空なものをもつてする慣行があつたとするも、これが慣行をもつて社会通念上許容されたものとして被告人の本件所為を違法性なき所為と見るべきかぎりではない。かかる慣行をもつて、とかく誇張と隠蔽をもつてする街頭商人の巧舌や甘言による取引慣行と同一視することは貿易手形制度の本旨に照らし法秩序上到底許さるべき筋合ではない。

原判決は、本件取引以前、大成貿易が、本件におけると同様に架空書類を添附して香港上海銀行東京支店その他の銀行のみならず、本件印支銀行からも貿易手形の割引を受けとどこおりなく決済され来たつた事実あることを認定して、本件架空の添附書類が形式的な意味しか持たなかつたという趣旨のことを述べて本件被告人の所為につき詐欺罪の成立を否定しているが、その論ずるところが、そうした事実にあつたから被害者たる印支銀行側においても錯誤に陥つた事情はないというのであれば、詐欺罪成立の否定さるべき理由として首肯し得られるものがあるけれども、すでにして、印支銀行側が、被告人の前示欺罔行為に因つて錯誤に陥つた事実を認めていながら、右事情の存在を前提として本件架空の添附書類が、形式的意味しか持たなかつたから詐欺罪は成立しないとの論は、上来説述したところに照らし到底採用できない。而してまた、原判決は、大成貿易が、右にも挙げたように本件取引以前すでに印支銀行その他の銀行から本件同様の架空書類を添附して貿易手形の割引融資を受け、而も同手形割引の基礎を為す輸出契約も履行され、それぞれこれが手形につきとどこおりなくその決済が為されて来た事情を捉えて右輸出契約の不履行や本件手形債務の不履行を敢てする意思は勿論そうした履行不能の必ずしも起り得ないものでないことを予見した事実もなかつたとして、本件詐欺罪の成立を否定しているが、本件取引当時、大成貿易が財政的に極めて困窮した状況に在つて、本件五通の貿易手形の履行期をまたず経営上の重大な危機に直面していたものであること、現に本件各取引によつて割引交付を受けた金員も、これが取引にかかる生糸の買付に使用された形跡は全くなく、他の使途に費消され、生糸の積出は全く不能に陥つたものであることが明らかであり、而も、当時大成貿易の経理課長であり且つ印支銀行から貿易手形の割引による金融を受ける事務処理の衝に当つていた被告人において、これらの事情を知らなかつた筈のないところでもあるから、本件各取引当時、被告人に少くとも前示輸出書類や手形債務の履行不能となるべきことの予見のあつた事実が推認し得られるばかりでなく、原判決所論の右の如き従来の割引事情は、大成貿易が元三菱関係会社の専務とか鐘ケ渕紡績の重役をしていたとかいう人達が合体して設立した会社であつて、会社の系統、役員の顔触等によりその資産状況について一般銀行の信用を得ていたことに乗じて貿易手形制度の悪用を継続したもので、たまたま、それが金融のやりくりによる手形の完済ができた結果表面化するに至らなかつたというに止まり、原判決のいうような、従来の割引事情をもつて、被告人の本件欺罔行為と印支銀行員の錯誤による割引による金員交付との間の因果関係を否定したり、行為の違法性や有責性を阻却すべき事由と為し得べきかぎりではない。

以上要するに、原判決の所論は、行為と結果との間に存する何等価値評価の加わるべきでない単なる認識対象に属する因果関係の有無の問題と、行為の違法性ないしは有責性という価値評価の問題とを混淆したるの憾なしとしないが、その論ずるところがいずれも理由のないことは上来叙述したとおりであつて。本件公訴にかかる被告人の各所為は、証拠上いずれも刑法第二百四十六条第一項所定の構成要件に該当する違法、有責の行為であつて詐欺罪の成立あることが明らかであるにかかわらず、原判決がその所論の帰結として本件公訴事実は、犯罪の証明がないとして被告人を無罪としたことは畢竟判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の過誤を冒したものというのほかはなく、本件控訴の趣意は理由がある。よつて、刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百八十二条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但し書の規定に従い被告事件について更に次のとおり判決をする。

罪となるべき事実

起訴状に記載された事実を茲に引用する。

証拠の標目

一、ピー、エツチ、カビイスの司法警察員に対する昭和二十六年十一月十三日附供述調書

一、ピー、エツチ、カビイス提出の顛末書(訳文)と題する書面

一、ピー、エツチ、カビイス提出の顛末書(英文)

一、ジヨルジユ、ベロン提出の証拠書類任意提出書と題する書面

一、ジヨルジユ、ベロン提出の顛末書と題する書面

一、原審第六回公判及び当審第二回公判における証人満田忠生の各証言

一、原審第十六回公判及び当審第二回公判における証人佐藤信二の各証言

一、被告人の司法警察員に対する昭和二十六年十一月二十一日附、十二月十四日附及び同月十八日附各供述調書

一、被告人の検察官に対する昭和二十六年十一月二十二日附、同月三十日附、十二月十一日附及び同月二十二日附各供述調書

一、被告人作成名義の昭和二十六年十二月四日附損益一覧表

一、被告人作成名義の昭和二十六年十二月十一日附印度支那銀行における手形割引金詐取一覧表

一、被告人作成名義の昭和二十六年十二月十一日附貿易手形添附書類の不正使用の処理一覧表及び同上未使用分証明資料表

一、被告人作成名義の昭和二十六年十二月三日附不正手段に依り手形割引を受けた金額の使途明細表

一、トラストレシート五枚(東京高等裁判所昭和三〇年押第八二四号の一)

一、貿易手形五通(前同押号の二)

一、契約書(コピー)十三枚(前同押号の三)

一、領収書(横浜蚕糸株式会社発行)十一枚(前同押号の四)

一、生糸代金仕切書(横浜蚕糸株式会社発行)十一枚(前同押号の五)

一、生糸売買約定書十五枚(前同押号の六)

一、大成貿易株式会社登記簿謄本及び印度支那銀行登記簿抄本

一、浜田翠の司法警察員に対する昭和二十六年十一月二十九日附参考人第一回供述調書

一、新井淑の司法警察員に対する昭和二十六年十二月十七日附第一回供述調書

一、久保田芳勝の司法警察員に対する昭和二十六年十二月八日附被疑者第一回供述調書

一、久保田芳勝の検察官に対する昭和二十六年十二月十八日附供述調書

一、青柳秀春の司法警察員に対する昭和二十六年十一月十五日附第一回供述調書

一、川島喜美子の司法警察員に対する昭和二十六年十一月三十日附及び十二月十九日附各供述調書

一、川島喜美子作成名義の昭和二十六年十二月七日附答申書

一、原審第六回公判における証人三田村準一及び同富山謙一の各証言

一、原審第八回公判における証人斯波悌一郎及び同須原健治の各証言

一、原審第五回公判における証人辻正義及び同小林市朗の各証言

一、原審第十回公判における証人梅沢万次郎、同松久民司及び同西本勇次郎の各証言

一、原審第十一回公判及び当審第二回公判における証人渡辺孝友の各証言

一、日本銀行営業局長作成名義の捜査関係事項照会に対する回答の件と題する書面

一、東京銀行本店営業部輸出課作成名義の信用状取引に関する説明書御届の件と題する書面

一、帝蚕倉庫株式会社作成名義の横浜蚕糸株式会社寄託生糸十月中出庫報告の件と題する書面

一、千代田銀行馬喰町支店長作成名義の捜査関係回答書

一、中央信託銀行株式会社作成名義の大成貿易株式会社の預金取引に関する答申書

一、第一銀行堀留支店作成名義の捜査関係事項照会回答の件と題する書面

法令の適用

刑法第二百四十六条第一項、第四十五条前段、第四十七条本文、第十条(最も重い起訴状記載の第二の詐欺の罪の刑に法定加重)。同法第二十五条第一項。刑事訴訟法第百八十一条第一項本文。

(裁判長判事 三宅富士郎 判事 河原徳治 判事 遠藤吉彦)

検察官の控訴趣意

原審判決は、被告人を無罪としたものであるが、この判決には事実の誤認があつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであつて到底破棄を免れない。

本件公訴事実の要旨は、被告人は繊維製品及びその原料の販売輸入等を営業目的とする大成貿易株式会社の経理課長として同社の経理関係の業務を管掌しているものであるが、昭和二十六年八月下旬より東京都中央區呉服橋二丁目一番地所在印度支那銀行東京支店から所謂貿易手形の割引という方法によつて事業運営資金の融資をうけることになつたところ、同銀行よりこの所謂貿易手形となすべき約束手形には海外との物品売渡契約に基く信用状の外に予め海外に輸出すべき物品を既に買付けその代金の支払もしてあることを証明する書類を添附すべきことを要求されたが、同社には前以てかかる物品を買付けておくべき資金がなかつたので茲にその事実がないのに拘らず海外に輸出すべき生糸を既に買付けてある様に装い夫々架空の生糸売買約定書、代金領収書等を約束手形に添附して前記銀行より所謂貿易手形金の割引金を騙取しようと企て

第一、昭和二十六年十月五日頃前記印度支那銀行東京支店において同銀行満田忠生に対し、同月三日附右大成貿易株式会社専務取締役斯波悌一郎振出名義印度支那銀行東京支店宛支払期日同年十一月二日額面金二千二百三十万円の約束手形一通及び額面金四百六十万円の約束手形一通に所要の信用状外予め、同会社横浜分室社員須原健治をして横浜蚕糸株式会社常務取締役久保田芳勝に依頼させ当該生糸の買付及びその代金支払の事実がないのに拘らずある様に虚構の事実を記載して貰つた起訴状別紙<省略>(一)掲記の如き生糸売買約定書、生糸代金仕切書及びその代金の領収書各一通を夫々真正の内容を有するものとして一括添付した上、同書類記載の如く横浜蚕糸株式会社より生糸の買付がしてあり同社にその代金も支払つてあるように装つて右手形の所謂貿易手形としての割引を求め、前記満田をしてその旨誤信せしめ、因つて即時同人より印度支那銀行東京支店からの右手形割引金名下に合計金二千六百七十二万八千三百七十八円を交付させて之を騙取し、

第二、同年十月十五日頃前記印度支那銀行東京支店において前記満田忠生に対し同月十一日附大成貿易株式会社専務取締役斯波悌一郎振出名義印度支那銀行東京支店宛支払期日同年十一月九日額面金千百二十万円の約束手形一通及び同年十月十二日附右斯波悌一郎振出名義印度支那銀行東京支店宛支払期日同年十一月十日額面二千二百五十万円の約束手形一通に所要の信用状の外前記第一記載と同様の方法により入手した内容虚偽の起訴状別紙<省略>(二)掲記の如き生糸売買約定書、生糸代金仕切書及びその代金の領収書各一通を夫々真正の内容を有するものとして一括添附した上、同書類記載の如く横浜蚕糸株式会社より生糸の買付がしてあり同社にその代金も支払つてある様に装つて、右手形の所謂貿易手形としての割引を求め、前記満田をしてその旨誤信せしめ、因つて即時同人より印度支那銀行東京支店からの右手形割引金名下に合計金三千三百四十七万七千六百四十六円を交付せしめて之を騙取し、

第三、同年十月二十七日頃前記印度支那銀行東京支店において、前記満田忠生に対し、同月二十二日附大成貿易株式会社専務取締役斯波悌一郎振出名義印度支那銀行東京支店宛支払期日同年十一月二十日額面金二千六百五十万円の約束手形一通に所要の信用状の外に前記第一記載と同様の方法により入手した内容虚偽の起訴状別紙<省略>(三)掲記の如き生糸売買約定書、生糸代金仕切書及びその代金の領収書各一通で夫々真正の内容を有するものとして一括添付した上、同書類記載の如く横浜蚕糸株式会社より生糸の買付がしてあり同社にその代金も支払つてある様に装い右手形の所謂貿易手形としての割引を求め、前記満田をしてその旨誤信せしめ、因つて即時同人より印度支那銀行東京支店からの右手形割引金名下に金二千六百三十四万八千四百二十円を交付せしめて之を騙取し

たものである。

というのである。

これに対し原判決は無罪を言渡し、その理由を縷々述べているが、これを要するに、被告人が本件架空の添附書類を本件約束手形に添えて印支銀行係員に情を告げることなく提出した行為は欺罔行為たる性質を有し、印支銀行係員が被告人の右欺罔行為により右添附書類を真正な内容を伴うものとする錯誤に陥つたものであるが、印支銀行係員が本件約束手形の割引をなしたのは右錯誤に基くものではなく、寧ろ主として信用状の存在及び大成貿易の信用如何を重視したものであつて、従つて、右架空の添附書類による欺罔行為は詐欺の要素をなすものでない、換言すると、右欺罔行為と錯誤又は任意の交付に当る割引との間に相当因果関係が認められないというにある。しかし、本件は、被害者たる印支銀行が貿易手形制度の割引を利用して大成貿易に本件約束手形の割引をなしたものであること、貿易手形たることの資格を得るためには右添付書類の真正であることが必須の要件であること及び印支銀行係負は右添附書類が架空なものでなく真正に成立したものであることを信じて割引に応じたものであることが夫々認められる以上、本件架空の添附書類が詐欺の要素に関するものでなく、本件約束手形の割引との間に相当因果関係なしとした原判決は、この点において事実の誤認があり、右誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかであるといわざるを得ない。以下これを詳論する。

一、本件を考察する上において第一に念頭に置かなければならないことは、被害者たる印支銀行が日本銀行の貿易手形制度の割引を利用して本件約束手形を割引いたこと、すなわち、本件約束手形が貿易手形であることとである。貿易手形制度は輸出促進策として金融面において輸出のため必要とした資金の融資を図ることを目的とした制度であつて、日本銀行において所謂貿易手形を再割引又は手形貸付することによつて右要請に応じたものであるが、これが円資金の少ない外国銀行たる印支銀行にとつては、一つの魅力となつて本件約束手形の割引に応じたものと認めなければならない。

かかるが故に、「印度支那銀行のような外国銀行では円資金が少いので日本銀行で再割して貰つてから業者に金を渡しているのです」(満田忠生の証言、記録六六二丁裏)、「現実には外国銀行でありますので手持の円資金が少いものですから再割を受けてから大成の口座に入れております」(証人佐藤信二の証言、記録六八二丁裏)の証言にあるように、印支銀行では、日本銀行よりの再割引金を得た後に、これをもつて本件約束手形の割引資金に充てたのである。若し、本件約束手形が日本銀行において貿易手形として認められないとしたならば、円資金の少ない印支銀行としては、右割引にたやすく応じなかつたものと推認するに難くない。従つて、本件約束手形が貿易手形であるということが本件を眺める前提としてまず重要な意味をもつのである。

二、貿易手形と認められるためには、日本銀行において、約束手形の割引による資金が特定商品を輸出することに必要なものであること、輸出業者が商品をメーカーから買付けたこと、その資金が確実にメーカーへ渡つていること、並びに輸出契約が成立していることを必要な要件としているのであつて、これらの要件の証明資料として輸出契約書、メーカーに対する発註書、代金受取書等を添附して提出することを要求しているのであり、若しこれらの書類の内容が虚偽又は架空なものであれば、日本銀行においては貿易手形として認めず、従つて、日本銀行による再割引又は手形貸付を受け得ないものである(証人渡辺孝友の証言、記録四五〇丁以下)尤も、右渡辺の証言によれば、日本銀行においては右添附書類については実質的調査を行わず、単に形式的調査をなしたにとどまるのであるが、これは実質的調査を放棄したものではなく、再割引を求める市中銀行の信用に信頼し、その調査を市中銀行に委ねたものと解せられるのである(同証言、記録四五七丁裏以下)。本件の添附書類中「生糸売買約定書」、「代金仕切書」及び「代金領収書」が架空のものであることは原判決の認めるところであるが、若しこの添附書類が架空のものであることを日本銀行係員において事前に知つていたとするならば、本件約束手形は貿易手形と認められず、従つて、その再割引を受けることができなかつたものである(証人佐藤信二の証言、記録六七九丁)。そして日本銀行による再割引を受けることができないとすれば、円資金の少ない印支銀行としては大成貿易に対し、本件約束手形の割引金の支払を躊躇したに相違ないことは想像するに難くないところである(証人小林市朗の証言、記録一六二丁)。

三、印支銀行係員は本件の架空の添附書類については何らの実質的調査を行わず、本件約束手形等と共にそのまま日本銀行に提示して、所謂貿易手形たることを承認する旨のスタンプを受けたのであるが、なぜ、実質的調査を行わなかつたかというと、大成貿易が「元三菱の専務とか鐘ケ渕紡績の重役をしていたとかいう人達が合体して設立した会社」であり、「大成貿易の会社の系統、役員の顔触等により資産状況について安心」していたからである(証人満田忠生の証言、記録一九二丁)。大成貿易の信用状況を過信していたということと本件架空の添附書類につき形式的審査しかしなかつたということとは、原判決は直接関連がないかのように認定しているがこれは明らかに誤つた推理というべきであつて、大成貿易の信用状況を過信したからこそ本件架空の添附書類についての実質的審査を怠つたものであり、これらの書類の形式的審査をなすにとどまつたのは、大成貿易を信用したからに外ならないのである。従つて、右添附書類について実質的な審査をしなかつたことは、全く日本の貿易業界の事情に暗い外国銀行たる印支銀行の過失というべきであるが、このことは本件架空の添附書類を本件取引においては「割引を得るか否かについて殆んど形式的要件に過ぎない程度の価値しかもたなかつたもの」とみることはできないのである。印支銀行係員は本件架空の添附書類については同一人の筆蹟であることを確認し偽造のものでないという程度の調査をしただけで、「間達のない本物と思つた」のであるが(証人満田忠生の証言、記録一九一丁)、これは右書類を軽視又は殆んど価値あるものとみなかつたためではなく、大成貿易を信用したが故にこれが実質的な審査を行わなかつたものに外ならないのである。

印支銀行係員が本件架空の添附書類を真実なものと信じ、且つこれを重視して本件約束手形の割引に応じたものであることは、右書類に買付をなし且つ代金の支払を了したと記載してある商品につき印支銀行がトラスト・レシートを要求した事実によつても明らかだといわざるを得ない。トラスト・レシートは貿易手形の添附書類としては必ずしも必要でないが、万一本件約束手形が不渡となることを慮つてその担保とする意図で差入れしめたものであつて、(証人満田忠生の証言記録六六一丁以下)この事実こそ添附書類記載のような商品が現在することを本件取引の要素としていたことを示すものといわなければならない。しかるに、原判決は信用状の存在と大成貿易の信用とを重視し、本件架空の添附書類については殆んど考慮されていなかつたと認定したことは事実を誤認したものといわざるを得ない。

四、以上のごとく解すれば、本件架空の添附書類は本件詐欺事実の要素をなすものであり、従つて、これと印支銀行係員の本件約束手形の割引との間には相当因果関係あうと認むべきは明らかであるのに拘らず、この点を看過し、右添附書類は「殆んど形式的要件たるに過ぎない程度の価値しかもたなかつたもの」と認定し、相当因果関係を認めない原判決は、事実を誤認したものであるといわなければならない。

五、なお、原判決がその理由のなかで述べている点で遽かに承服し難い点を挙げて論ずることにする。

(1) 記録七六二丁六行目以下の(おもうに右引用の各証拠によると……さまでは重要ではないからである。)のカツコ内で述べられている点は、原審記録の証拠に照し、かかる断定を下すに足りる直接の根拠となるべきものは見当らず、単に大成貿易が手持資金で予め輸出生糸を買い付ける余裕がなく、本件同様の方法を従来繰り返して来たということが被告人の供述等に窺われるに過ぎないのであつて、これを拡張して原判決のごとく当時一般の生糸輸出業者は手持資金で予め輸出生糸を買付けうる余裕は概してなかつたと速断することはできないのである。

又更に原判決は信用状の存在を特に重視し、信用状の出ている輸出契約が真に締結されている以上は、履行が確実であるから本件架空の添附書類の実質はさまで重要でないと述べているのであるが、信用状が存し且つ輸出契約が締結されているということは確かに重要な要素であるといわなければならないが、しかし貿易商社が「履行をなさないというがごときことはよくよくの場合にしか起らない」とすることは誤りであろう。輸出業者が海外の買付商社から代金の支払を受け得ることは絶対確実であつても、国内で貿易業者が商品を有利に買付ける機会に恵まれ利益を見込み得る場合でなければ、輸出契約の履行はたやすくなされるものではない。有利に買付けるには、生糸の国内価格の変動と共に業者の営業、実績、その信用度が要件となるのであつて、輸出契約の外に信用状があつても国内輸出業者(本件では大成貿易)の履行能力の大なることを示すものではない。履行能力を示すものは、主として本件架空の添附書類であつて、印支銀行係員は大成貿易の能力を過大評価する錯誤に陥つたのであるが、これは主として右架空の添附書類に基くものといわなければならない。

(2) 原判決は、大成貿易においては本件におけると同種の架空書類を添附して銀行より貿易手形の割引を受けたことが数回あるがこれらはすべてとどこおりなく決済されている事実を挙げて本件架空の添附書類が形式的意味しかもたないことを主張するのであるが(記録七六四丁裏四行目以下)、所謂取込詐欺の形態でよく見受けられるように、一つの行為が完全に決済されたとしても他の行為の違法を治癒又は軽減するものではないのである。架空の添附書類を提出して約束手形の割引を受ければそれは詐欺行為といわなければならないが、たまたま決済されたために不問に付したのに過ぎないのである。従つて、過去において完全に決済がなされたという一事をもつて直ちに本件の取引も又同様に適法なものとみることはできない。

(3) 原判決は、大成貿易に本件輸出契約を履行する意思及び能力がないのにこれあるように被告人において印支銀行係員を欺罔して本件約束手形の割引をさせたものであるというがごとき事実が全然認められないとしているが(記録七六四丁二行目以下)本件割引当時の大成貿易の財政状態は、被告人の供述(記録六一三丁)によれば、「昭和二十六年四、五月で一千万円か二千万円の赤字が出たと思う。三月頃から九月頃までの間に黒字になつた月もあり、十月以降になれば黒字になる予定でした」と曖昧な趣旨を述べているが、被告人作成の昭和二十六年十二月四日附「損益一覧表」の記載によると、昭和二十六年八月は損益差引、約千五十一万円、同年九月は損益差引、約五千六百四十七万円となつて居り、同年五月以降九月迄の間の損益差引合計は一億三千二百二十一万余円に上り、同年九月末現在において棚卸商品の額を差引いた差引損失金は、一億五百二十一万余円となつている。この数字の概略は経理課長である被告人が知らぬ筈はなく、第八回公判調書中証人斯波悌一郎の供述記載(記録二六四丁)によれば、「被告人中島が会社の経理課長をしていたのであるから会社の金があるかないかは本人が一番よく分つていた」のであるから九月末における大成貿易の財政は、極度に窮迫していたものといわなければならない。しかのみならず、この期において大成貿易は本件と別の生糸輸出契約の履行に迫られていた。これは本件以前に印度支那貿易公司との間に結ばれていた生糸輸出契約であつて、この契約の履行が終了したのは、昭和二十六年十二月二十五日前後頃(記録六一五丁)で本件起訴事実中第二の事実の後であり、第三の事実の惹起される直前である。

被告人作成の昭和二十六年十二月三日附『不正手段に依り手形割引を受けた金額の使途明細表』の記載によれば、本件手形の割引により得た金額合計八千六百五十五万四千四百四十四円の使途中最大の支出は生糸買付資金等に充当されその額は四千六百七十万円に及んでいるが、この金で買付けられた生糸は印度支那貿易公司との輸出契約に基いて積み出された生糸にあたるものと認められる(被告人の供述記録六一五丁、)。従つて、大成貿易では本件以前に存した生糸輸出契約の履行のため新たに本件約束手形の割引によつて得た金員の半額以上を費してしまい、本件契約の履行のため生糸の買付けが全然行われなかつたものであつて、決して割引金の残額をもつて安い生糸を有利な時期に買付けて本件契約の履行に充てるというが如き余裕ある立場にあつたものではないのである。果して十月二十九日に至つて大成貿易は手形の不渡りを出し次いで間もなく倒産したことは本件記録随所にあらわれているところであり、本件五通の手形の履行期をまたず大成貿易に経営上の重大な危機が到来することを被告人が予知していたとするに妨げとなるべき事実は全然認められない。この期にあつて、被告人が会社のため本件貿易手形の割引に成功して大成貿易に多額の資金の導入をもくろんだものであることは、被告人の検察官に対する供述調書四通及び第十四回公判調書中被告人の供述を通じて明らかに肯定し得るところである。

従つて、原判決が大成貿易に本件輸出契約を履行する意思及び能力がないのにあるように被告人において「印支銀行」係員を欺罔して本件手形の割引をなさしめたものであるという如き事実が全然認められないとした点も事実を誤認したものであるといわなければならない。

以上の如くであるから結局原判決は事実を誤認し、その誤認が判決に影響を及ぼすべきことが明らかであるから破棄を免かれず被告人は詐欺罪につき有罪として処断せらるべきものと確信する。

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